人は誰もが損はしたくない、得をしたいという願望を持っています。ごく当たり前のことと思います。同じ人生を歩むなら損をして苦しむ、その苦しみを乗り越えるために努力するならば、何事も得をして楽になるなら得のために努力した方が、努力のやり甲斐があるというものです。又人は損をするために生きているのではなく、得をするために生きています
しかしこの考え方は自分のことを中心としての願望であり、必ずしも正しい生き方とは思いません。何故なら自分だけよければ良いと思う心に問題があります。そしてそのような考え方は長続きしないのも事実だし、人からの助けや協力は得られることはありません。よってその人の得も一時的に得られてもそれは人の一生から考えると本来の得ではなく、ある意味損な生き方であると思います
昔の人は良いことを言いました。「損して得とれ」私は正にこの生き方です。だから今得をしていることが多いように思います。
一つ例を挙げてみます。ある人から相談がありました。その用件は私には全く損得には関係なくその人個人的なものでした。又私自身、仕事柄時間の余裕や心の余裕が無いときもあります。でもその人にとっては今、答えが必要なんです。そんな時自分のことを犠牲にしてでもその人のために相談に乗ります。自分のことができないのは損に繋がるかも知れませんし得をしようとも思いません。今その人のためにだけを考えます
又ビジネスにおいても会社の利益よりも社員やスタッフを大切に給料面でも保障してやることで、会社は仕事を受理し断ることなく業務遂行に繋がり、取引先の信用も得ることができる。又取引先と料金を決めるときも将来を考えて今安価であっても数をもらえば、継続できればの考えで損して得とれを実行しています。おかげ様でいい人生、いいビジネスを送っています
そのときだけを考えたら損して得とれは考えにくいですが、私はいつも将来のことを頭においています。何事も相手のために損なことをしていても良いと思っています。期待や見返りは考えていません。
得は知らないうちにやってくるものです
あえて相手のために「損」になり相手が「得」になればと 炭谷 剛

しかしこの考え方は自分のことを中心としての願望であり、必ずしも正しい生き方とは思いません。何故なら自分だけよければ良いと思う心に問題があります。そしてそのような考え方は長続きしないのも事実だし、人からの助けや協力は得られることはありません。よってその人の得も一時的に得られてもそれは人の一生から考えると本来の得ではなく、ある意味損な生き方であると思います

昔の人は良いことを言いました。「損して得とれ」私は正にこの生き方です。だから今得をしていることが多いように思います。
一つ例を挙げてみます。ある人から相談がありました。その用件は私には全く損得には関係なくその人個人的なものでした。又私自身、仕事柄時間の余裕や心の余裕が無いときもあります。でもその人にとっては今、答えが必要なんです。そんな時自分のことを犠牲にしてでもその人のために相談に乗ります。自分のことができないのは損に繋がるかも知れませんし得をしようとも思いません。今その人のためにだけを考えます

又ビジネスにおいても会社の利益よりも社員やスタッフを大切に給料面でも保障してやることで、会社は仕事を受理し断ることなく業務遂行に繋がり、取引先の信用も得ることができる。又取引先と料金を決めるときも将来を考えて今安価であっても数をもらえば、継続できればの考えで損して得とれを実行しています。おかげ様でいい人生、いいビジネスを送っています

そのときだけを考えたら損して得とれは考えにくいですが、私はいつも将来のことを頭においています。何事も相手のために損なことをしていても良いと思っています。期待や見返りは考えていません。
得は知らないうちにやってくるものです

あえて相手のために「損」になり相手が「得」になればと 炭谷 剛
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